題 名 浅草橋夕景 作者名 小林清親/井上安治
所在地 柳橋1丁目(浅草茅町一丁目) 制作年 明治13年(1880年)

江戸城の警護のため36箇所に設けられた江戸三十六門(見附)の一つ「浅草御門」がこの地にあり、その御門の前にかかる橋ということから、浅草橋と呼ばれるようになりました。  江戸時代の切絵図をみると、ほとんどの見附の門は桝形門という門を入ると石垣に囲われた桝形の広場があり、右あるいは左に曲がって出口となる門を抜けて通る形式になっています。 台東区(浅草)側から中央区(日本橋)側に渡るとき右手の浅草橋のたもと(台東区側)に浅草見附跡の碑がありますが、古地図によると見附の桝形門は中央区側にありました。 1873年、技術の高さで知られた肥後の石工であった橋本勘五郎の施工で木造橋を石橋に架け替えました。 現在の橋は1930年、関東大震災後の復興計画により当時の最新技術を駆使して建設されました。

江戸時代は五街道の日光・奥州街道が通り、非常に往来の多い橋であり現在も浅草橋を通る道路は国道6号に指定されており、交通の要衝を担っています。 神田川と隅田川の合流地点に近く水上交通の要衝でもあるため、橋の周辺にはおびただしい数の屋形船が係留されています。

浅草橋から秋葉原にかけては、ビルが立ち並んでおり、浮世絵のような夕焼けの空は撮影できませんでした。