神田川が隅田川に流入する河口部に位置する最下流の橋梁で、南詰の東日本橋側に進むと国道14号(靖国通り)上の両国橋西交差点にたどり着ます。 その起源は江戸中期、当時は日本橋下柳原同朋町と対岸の浅草下平右衛門町とは渡船で往来していたものの不便な為元禄10年(1697)に架橋を願い出て許可され翌年1698年に完成。 明治20年(1887)に鋼鉄橋になる。 その後の関東大震災にて焼失したため震災復興事業として昭和4年(1929)に現在の橋が完成。 永代橋のデザインを取り入れたと言われている。 1999年に中央区区民有形文化財として登録。 東日本橋駅出入口から北東に直進、国道14号(靖国通り)上の両国橋西交差点で交わると柳橋に向かって北方に直進し、台東区側の突当るまでの区間は、柳橋通りという道路愛称名で呼ばれています。
柳橋に芸妓が登場するのは文化年間(1804-1817)で、洗練され江戸市中の商人や文化人の奥座敷となりました。 交通便にも恵まれ隅田川沿いに位置していたため風光明媚の街として栄えて、明治期には新興の新橋と共に「柳新二橋」(りゅうしんにきょう)と称されるようになります。 大学生にも人気の盛り場として賑わいましたが、平成11年(1999
)1月、最後の料亭「いな垣」が廃業し200年近くの歴史に終止符を打ちました。 現在の柳橋は、照明が明るすぎて浮世絵のように通りすがりの女性がうっすらと見えるような情景は撮影できませんでした。