題 名 東京真画名所図解 厩橋 作者名 井上安治
所在地 蔵前2丁目(浅草三好町) 制作年 明治17年~明治22年(1884~1889年)

江戸時代、元禄年間頃から続いていた「御厩河岸(蔵前の米蔵の荷駄馬用の厩)」と対岸の「本所石原町」を結ぶ「御厩河岸の渡し」がありました。 船上から遠くに富士山を望むことができたので、「富士見の渡し」とも呼ばれ、浮世絵にもしばしば描かれていました。 以前から転覆事故が多く「三途の渡し」と揶揄されていたこの渡しで明治5年(1872 )に花見客の人出で舟が転覆する事故があり、民間の手により明治7 年(1874)10月6日に長さ511尺(約150 m)、幅20尺(約6 m)の木橋が現在よりも約100 m くらい下流の位置に架けられました。 その後、本所方面から上野広小路へ東西に直接接続する春日通りの建設計画がおこり、木橋の老朽化もあって現在地に東京府によって明治26年(1893)5月6日に長さ86間(約154 m)の鉄橋に架け替えられました。 製作年から考えると浮世絵に描かれた厩橋は鉄橋となる以前の木橋の時代に描かれたものと考えられます。 

撮影に際して、参加者から空の赤は朝焼けか夕焼けかとの議論が沸き起こりました。 古地図によると江戸から明治にかけて厩橋の西詰には御蔵前の船着き場が存在しており浮世絵の左にあるような道路がなかったので、この情景は墨田区側からみた夕焼けであると判断し撮影しました。