題 名 東京真画名所図解 浅草東門跡 作者名 井上安治
所在地 西浅草1丁目(浅草松清町) 制作年 明治17年~明治22年(1884~1889年)

慶安4年(1651)、東本願寺第12世教如が江戸御坊光瑞寺を神田に建立したのを始まりとし、その後、京都の東本願寺の掛所(別院)となりました。

明暦3年(1657 )、明暦の大火により焼失し、浅草に移転。 「浅草本願寺」・「浅草門跡」と称されるようになり、21の支院と35の塔頭を抱え、境内は1万5000坪に及びました。 その伽藍は、江戸後期の天保年間に出版された浮世絵師・葛飾北斎の連作『富嶽三十六景』に「東都浅草本願寺」として描かれています。

明治元年(1868 )には、渋沢成一郎や天野八郎などの旧幕臣ら百数十名により、大政奉還後、上野寛永寺に蟄居していた徳川慶喜の擁護を目的とする「彰義隊」が結成され、その拠点となりました。

明治8年(1875 )、明治天皇の臨幸のもと、日本で最初に開かれた「地方官会議(知事会議)」の議場に使用されました。

東本願寺(ひがしほんがんじ)は、浄土真宗東本願寺派の本山で、正式名は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」です。 2024年2月5日夜、東京では積雪8㎝となり、6日早朝には雨に変わっていました。 轍も雪も適度に残っているうちにと出動・撮影しました。