題 名 東京花名所 浅艸奥山花やしき 牡丹 作者名 歌川広重(三代)
所在地 浅草2丁目(浅草公園地) 制作年 明治12年(1879年)

浅草花やしきは、江戸時代末期嘉永6年(1853)に造園師森田六三郎により、牡丹と菊細工を主とした花園(かえん)として誕生しました。 明治5年頃からは遊戯施設が置かれ、その他にも珍鳥や猛獣の飼育、西洋あやつり大写真や山雀(やまがら)の芸等で大評判となり、かの大正天皇もお忍びで来園されるほど人気を博しました。

その後、震災や戦禍により閉園を余儀なくされた時代を経て、昭和24年(1949)に遊園地として再建され、当初はビックリハウス、豆汽車、射的、鬼退治等、規模は小さかったものの、入園無料の憩いの場として広く大勢の人々に利用されたようです。 昭和28年(1953)に日本現存最古のコースター『ローラーコースター』、昭和35年(1960)に『人工衛星塔(のちのBeeタワー)』を設置、どちらも浅草の名物となり、街の発展に大きく寄与しました。 昭和60年(1985)2月には、開園以来続けてきた入園無料の形態を風営法の規制により変更せざるを得なくなり、有料遊園地として再スタートしました。