吾妻橋は、徳川家康の入府から江戸時代にかけて隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋であり、安永3年(1774)10月17日に木造で架橋されました。 それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所でした。 長さ八十四間(約150m)、幅三間半(約6.5m)の橋で、武士以外の全ての通行者から2文ずつ通行料を取ったと記録に残っています。 当時は隅田川が大川と呼称されていたことにちなんで「大川橋」と呼ばれていました。 明治9年(1876)に架け替えが行われ、正式に「吾妻橋」と命名されました。 この最後の木橋は明治18年(1885)7月の大洪水で初めて流出した千住大橋の橋桁が上流から流されてきて橋脚に衝突して一緒に流失してしまいました。 そのために明治20年(1887)12月9日に隅田川最初の鉄橋として再架橋されました。 鋼製プラットトラス橋で、人道橋、鉄道(東京市電)橋、車道橋の3本が平行して架けられていました。 その後数度の架け替えを経て、大正12年(1923)の関東大震災で被災し、昭和6(1931)年に現在の橋になりました。
吾妻橋の名前の由来は俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説があります。