題 名 江戸名所尽 金龍山浅草寺雷神門之図 作者名 渓斎英泉
所在地 浅草2丁目(浅草公園地) 制作年 天保後期(1830~1844年)

雷門はたびたび火災で焼失し、最後の火災は慶応元年(1866 )12月14日であり、以後、100年近く恒久的な建築物としての雷門は姿を消しました。

明治年間から太平洋戦争後にかけては、様々な形態の仮設の雷門が登場したと伝えられています。 いずれも博覧会の開催や戦勝記念、開帳など、その時々のイベント的な要素が強く、素材は鉄骨やコンクリートなどの構造もあったほか、大きさもその都度違っていました。 1904年の日露戦争終結時には、凱旋門として雷門が建てられています。 また、恒久門のない時代も雷門は地域名として用いられ、1924年には周辺の町名が「浅草雷門」となったほか、1931年に開業した東武鉄道の駅は当初「浅草雷門駅」と称していました。 付近を走行していた市電(後の都電)にも「雷門」電停が設けられていました。

現在ある雷門は鉄筋コンクリート造で、1960年5月3日に開通式が行われ、10年ごとに大改修が行われています。  再建費用を寄進したのは松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助です。 かつて松下の神経痛平癒を祈祷した浅草寺貫首の清水谷恭順が1958年、上京中の松下に協力を依頼し、翌1959年に工事が始まりました。 大提灯も松下が奉納し、その後も10年毎に新調されています。