題 名 東京真画名所図解 浅草観音 作者名 井上安治
所在地 浅草2丁目(浅草公園地) 制作年 明治17年~明治22年(1884~1889年)

雷門をくぐり、仲見世を歩いてゆくと、前方に朱塗りの宝蔵門があります。 門は、初層が五間で、両端のニ間には、仁王像を奉安し、中央の三間が通行のために開口しています。

この門は、もともと仁王門と呼ばれていました。「浅草寺縁起」によれば、平公雅が天慶5年(942)に武蔵守に補任され、その祈願成就の御礼として、仁王門を建立したのが創建です。 数度の焼失と再建ののち、徳川家光の寄進により、慶応2年(1649)に再建されました。今に伝わる錦絵の数々に描かれた仁王門は、慶応の門です。 昭和20年(1945)仁王門は、東京大空襲により、観音堂、五重塔、経蔵などと共に焼失しました。 昭和39年(1964)に、大谷重工業社長 大谷米太郎ご夫妻の寄進により、鉄筋コンクリート作り、本瓦葺きで再建されました。 経蔵を兼ねて伝来の経典や寺宝を収蔵するところから仁王門から宝蔵門と改称されました。 明治の神仏分離の際に、あわや焼却処分されるところ、浅草寺に深く帰依していた尼僧の貞運尼が買い取り、浅草寺に奉納したと言う由緒があります。 この「元版一切経」を鎌倉から浅草まで運ぶ際に助力したのが、町火消し十番の組頭、新門辰五郎です。宝蔵門を表からと裏から見た、雪の景色です。