『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると、飛鳥時代の推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像がありました。 これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像です。 この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)は出家し、自宅を寺に改めて供養しました。 これが浅草寺の始まりといわれ都内最古の寺で、正式には金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)と号します。 聖観世音菩薩を本尊とすることから、浅草観音(あさくさかんのん)として知られています。 元は天台宗に属していましたが、昭和25年(1950)に独立して聖観音宗の本山となりました。 都内では、坂東三十三箇所観音霊場唯一の札所(13番)、また江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもあります。 全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に入っています。
宮殿の扉の前には「御戸帳」と称する、刺繍を施した帳(とばり)が掛けられています。 宮殿の手前左右には梵天・帝釈天像が立ち、裏には秘仏本尊と同じ姿という聖観音像(通称裏観音)、堂内後方左右の厨子内には本尊の脇侍として不動明王像と愛染明王像を安置しています。 毎年12月12・13日に煤払(すすはらい)と開扉法要が行われ、本尊は絶対秘仏で公開されませんが、「お前立」の観音像は12月13日午後2時からの開扉法要の際に一般の信徒も拝観することができます。
五重塔は、昭和20年(1945)、戦災による焼失までは、観音堂に向かって右側に位置していましたが、昭和48年(1973)に再建された五重塔は、左側に建造され、高さは、京都東寺に次いで高い(地上53.3m)五重塔です。