題 名 東京真画名所図解 今戸橋雪 作者名 井上安治
所在地 浅草7丁目(浅草金龍山下瓦町) 制作年 明治17年~明治22年(1884~1889年)

今戸橋は、山谷堀がまだ堀であった頃に架けられた山谷堀最下流の橋です。 最初に整備された時期は不明ですが、江戸時代の資料に橋を架け渡すという記載が残っています。 この橋の下を吉原通いの船が通った頃には、その船を親不孝舟などといったといい、「今戸橋上より下を人通る」というほどのにぎわいだったと言われています。 現存する欄干は、大正15年(1926)に竣工した橋の欄干で、山谷堀の埋立てに伴い、昭和62年(1987)現在のような形となりました。

現在ではほとんど見られなくなりましたが、かつて当地は今戸焼という焼き物が盛んであったことでも知られていました。 今戸焼の起源は天正年間(安土桃山時代)にまでさかのぼることができ、今戸焼の招き猫は江戸時代には浅草界隈の名物の一つとしても知られていました。

江戸時代から明治時代にかけて、日用雑器、茶道具、土人形(今戸人形)、火鉢、植木鉢、瓦等を生産しました。言い伝えによれば天正年間(1573–1592)に生産が始まるといわれています。宝暦2年(1752)には今戸焼職人が今戸神社に狛犬を寄進していたそうです。 風来山人『風流志道軒伝』(1763年)に見える「今戸焼」が文献初出とされることがあります。 金森得水『本朝陶器攷證』によれば、幕末期には今戸焼を生産する家が50軒ほどあったということです。