題 名 名所江戸百景 下谷広小路 作者名 歌川広重(初代)
所在地 上野3丁目(上野広小路町) 制作年 安政3年9月(1856年9月)

明暦の大火(明暦3年(1657))ののち、道幅を広げて火除け地となった現在の上野公園入口から松坂屋に至る一帯の広小路のことです。 歴代将軍が寛永寺参拝に利用した御成道(おなりみち)で、浮世絵にも描かれているように、当時から寛永寺詣での大名や町民の往来も多く、今も昔も相も変わらず賑わっていました。 現在の中央通りと不忍通りの交差点には、忍川(しのぶがわ)が流れており、三つの橋が並んでかけられていたことから三橋(みはし)と呼ばれました。 松坂屋、三橋は錦絵にもよく描かれています。 下谷は寛永寺(現上野公園)の東側一帯をさし、台地であった上野に対する名称です。 両国広小路(両国橋西詰・現在の中央区東日本橋周辺)、浅草広小路(現在の雷門通り)とともに江戸三大広小路のひとつに挙げられています。

江戸の古地図を見ると春日通は本郷から湯島天神下で行き止まりとなっていて、現在の松坂屋旧館と新館の間にある道が、湯島天神への参道として栄えていました。 浮世絵にある松坂屋を見ると通りの向こう側にあり移転したのかと思いますが、明治になってから本所方面から上野広小路へ東西に直接接続する現在の春日通りの建設計画がおこり、明治26年( 1893)頃に完成したため、現在の姿に変わっています。 また、丸に井桁と藤を組み合わせた「いとう松坂屋」ののれんの商標は現在も松坂屋のロゴとして使われています。 この浮世絵は、安政の大地震直後に描かれたもので、店も再建された当時の様子が描かれています。