題 名 東京真画名所図解 上野三橋 作者名 井上安治
所在地 上野4丁目(上野三橋町) 制作年 明治17年~明治22年(1884~1889年)

上野広小路三橋遺構は、都道中央通り(上野広小路)に建設中の台東区営地下駐車場工事地内における発掘調査により、平成17年に発見された石組水路です。 江戸時代には寛永寺の参道に続く下谷広小路にかかる遺構で、西側の不忍池から広小路を横切るように水路(忍川)が砂層を分断して東へ流れていました。 川には三つの橋(中央に将軍が寛永寺に参詣する時に使用する大橋、左右に一般用の小橋)が架けられていて、三橋と呼ばれていました。 下谷広小路は、ほぼ現在の都道中央通りとなっており、本遺構は三橋に関係するものと考えられます。 石組水路は明治に暗渠となっていたようですが、昭和5年の地下鉄銀座線に分断されて廃棄された後には、コンクリート管が埋められましたが、遺構部分は良好に残されていました。 水路は一度改築されて約80センチメートル浅くなり、さらに途中から南側に折れ曲がります。 当初の深い部分において上幅3メートル、下幅1メートル、高さ3メートルあり、石垣は間知石を積み上げ、底面の砂層の上には長さ450、幅40、厚さ10センチメートルの板材を組み合わせて敷いています。 構築は17世紀中頃、改築は17世紀後半から18世紀前半頃と推測され、改築は参道が広小路として拡幅されたことと関連すると思われます。 本遺構は遺存が良好であり、また類例の知られていない板敷きを有するなど貴重なものです。 また忍川と上野広小路の歴史を解明し、さらには寛永寺と三橋の関係を考えるためにも重要です。 忍川は、旧藍染川とよばれ石神井川から別れた川で、台東区を横切り、三味線堀(台東区小島辺り)までつながっていました。