上野池の端(はた)にあった蓬莱屋は、主人の名も長寿でめでたい亀吉だったこともあり繁盛したようです。当時上野には寛永寺をはじめ寺院が多かったので、蓬莱屋は一般の料理のほか、精進料理でも知られていました。
精進料理は魚介類や肉類などを用いず、野菜類・海藻類・穀類などの植物性の材料だけで作る料理で、仏教の影響で始まり、鎌倉時代に大陸から禅宗が伝来してから一般へも普及しました。江戸時代には精進料理専門の料理書も刊行され、専門の料理屋もありました。また江戸時代に長崎へ伝えられた中国料理は卓袱(しっぽく)料理、精進の場合は普茶(ふちゃ)料理と呼ばれ、一時はかなり流行したようです。
江戸時代に『江戸買物独案内』というタウン誌のようなものがあり、その中に上野仁王門前の蓬莱屋亀吉という記述があり場所を特定することができました。
浮世絵の表題にあるように、江戸時代は現在の池之端という町名以外にも不忍池の周りのエリアは池之端と呼んでいたようです。