題 名 上野公園博覧会場美術館猩々噴水器之図 作者名 小林年光
 所在地 上野公園13(上野公園地) 制作年 明治14年(1881年)

明治10年(1877)8月21日(噴水の日)、東京・上野公園(上野の寛永寺本坊跡地)で第1回内国勧業博覧会が開催され、会場中央の人工池に日本初の西洋式噴水が作られ、 “博覧会のシンボル”として注目を集めました。

博覧会は当時の「富国強兵・殖産興業」の国策に沿って開催されたもので、展示館の1つである「美術館」は、日本で最初に「美術館」と称した建物として知られています。 この「美術館」は、博覧会終了後も使用することを前提として煉瓦造で建設されました。 また、内山下町(現在の内幸町1丁目)薩摩藩上屋敷跡にあった博物館が手狭になり、火災等の危険も大きいとして、博物館の上野公園への移転を陳情していましたが、1877年、太政官より上野移転の裁可を得ました。 明治14年(1881)、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計で上野公園の寛永寺本坊跡に煉瓦造2階建の博物館本館が完成しました。 この本館は、同年開催された第2回内国勧業博覧会の展示館として使用された後、翌明治15年(1882)3月から博物館の本館として使用されるようになりました。 4年前の第1回内国勧業博覧会の際に建てられた「美術館」の建物も新博物館の「2号館」として活用されましたが、関東大震災で本館・2号館共に損壊し、現存していません。 噴水は上野公園管理事務所で朝10時から15分間隔で噴水/ミスト/シャワーに切り替えて管理しているそうです。