寛永寺は天台宗の別格大本山のお寺です。 寛永2年(1625)に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。 後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。 また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。 根本中堂は、元禄11年(1698)に建立され、慶応4年(1868)彰義隊の戦争の際に焼失してしまいました。 現在の根本中堂は、明治12年に川越喜多院の本地堂を山内子院の大慈院(現寛永寺)の地に移築し再建されたものです。
現在も上野公園は桜の名所として有名ですが、江戸時代には飛鳥山と並ぶ桜の名所として知られており、庶民の行楽地でした。
根本中堂の跡地(通称:竹の台)は、両側に竹の台(うてな)があったことに由来します。 ここには、常行堂、法華堂などの主要な堂宇がありましたが、戊辰戦争で灰燼として消えてしまいました。
上野恩賜公園内にある東叡山の根本中堂、上野東照宮 、上野清水堂 、西郷銅像地、上野池之端弁天堂、両大師、谷中天王寺などは寛永寺根本中堂の庶務課が管理しているそうです。